日本のゲノム医療において、がんと関係する遺伝子を網羅的に調べる「がん遺伝子パネル検査※1」の実用化に先陣を切って取り組んできたシスメックス。目の難病、「遺伝性網膜ジストロフィ(Inherited Retinal Dystrophy: IRD)」と、その疾患に苦しむ患者さんとご家族の存在を知ったことで、患者さんとご家族のQOL向上への貢献を目指し、IRDの病気の原因となる遺伝子を調べる新たな遺伝子パネル検査の実用化に向けた挑戦が始まりました。2023年に国内で初めて臨床実装されたこの検査が、患者さんやご家族にもたらす新たな価値とは。難病を抱える患者さんとご家族の不安に寄り添いたい——新たな検査の実用化に取り組んできた従業員の想い、医療現場へ検査を届けるまでの挑戦の軌跡を振り返ります。
難病・希少疾患の患者さんを取り巻く現状と課題、そしてゲノム医療の未来
希少疾患とは、患者数が少ない疾患の総称です。その種類は5,000〜8,000種類に上り、何らかの希少疾患で苦しんでいる患者さんは、世界で延べ3億人以上ともいわれています。1) 患者さんやそのご家族の多くが、診断に時間がかかる、治療法が限られる、社会的な理解や支援が不足しているといった多くの課題に直面しています。
希少疾患は、その約8割が遺伝子に異常がみられる「遺伝性疾患」といわれており1)、その多くが根本的な治療が難しい難病として捉えられてきました。しかし、近年ではゲノム解析技術の飛躍的な進歩により、原因となる遺伝子ごとの病態の違いが解明されつつあるとともに、遺伝子治療の技術発展により、遺伝子を用いた治療の応用範囲が大幅に広がり、また治療効果を高めることが可能となってきました。
一人ひとりのヘルスケアジャーニーをより良いものにするために欠かせない検査・診断技術の創出に注力してきたシスメックスは、日本でのがんゲノム医療の社会実装を進めてきた経験・ノウハウを活用し、難病・希少疾患に対する遺伝子パネル検査の可能性を探ってきました。その一つの成果が、希少な網膜疾患である遺伝性網膜ジストロフィ(IRD)を対象とする、国内初となる遺伝子パネル検査の薬事承認取得です。
遺伝性網膜ジストロフィ(IRD)における遺伝子パネル検査の臨床実装への挑戦
患者さん・ご家族が抱える不安に寄り添いたいとの想いで、覚悟を決めて未踏の地へ
シスメックスが開発したのは、患者さんの血液から、IRDに関連する遺伝子を網羅的に調べ、患者さん一人ひとりの原因遺伝子の診断を補助する検査です。

右:執行役員 臨床戦略・学術本部長 渡辺 玲子
左:臨床戦略・学術本部 臨床戦略第一部 プリンシパルプランナー 新納 隼人
「難病・希少疾患の患者さんの課題の一つは、診断名がつくまでにかなりの時間を要すること。診断が難しいために、患者さんは何年にもわたって医療機関を転々とする、診断を求める終わりなき旅(Diagnostic Odyssey)を余儀なくされるケースもあります。IRDは診断までの時間は長くはかかりませんが、一口にIRDといっても、原因遺伝子によって、視機能の予後や、病気が遺伝する確率に影響を与える遺伝形式※2が異なります。より適切な診断、治療、社会的ケアのためには、原因遺伝子を包括的に調べ、同定することが極めて重要ということが、先生方の臨床研究により分かってきていましたが、当時は臨床で実施できる検査はありませんでした。また、先生方のお話を聞いている中で、IRDと診断された患者さんは、ご自身の病気はもちろんのこと、お子さんの将来のことまで、非常に多くの悩みを抱えていらっしゃることを痛感しました。検査によって、患者さん一人ひとりにあったケア・医療につながる。患者さんが自分の病気の原因を知り、それに応じた将来を前向きに描くことができる。そういった意味で、検査・診断の果たすべき役割が非常に大きいと感じました」と話すのは、プロジェクト責任者を務めた執行役員の渡辺 玲子です。
眼科領域での遺伝子治療の開発と、その治療の適応を調べるための検査の可能性を探ってきた眼科専門医から、検査領域で長年の経験と、国内初のがん遺伝子パネル検査の実用化で実績のあるシスメックスに声がかかったことが出発点となりました。
渡辺は、開発が始まった当時のことについて、こう振り返ります。
「治療へのアクセスが限定的な疾患への検査となるため、ハードルが高いことは理解していましたが、『難病・希少疾患だからやらない』という選択肢はありませんでした。また、会社として難病・希少疾患の分野に舵を切るうえで、社内でもさまざまな意見がありましたが、医療現場からの期待に全力で応えたいとの想いで、社内を説得しました。制度作りへの協力や薬事承認、保険適用など今までのシスメックスの臨床実装の経験が必ず生かせるとの自信もありましたし、検査・診断の力で患者さんとご家族の不安を少しでも軽減する、それがシスメックスの使命だと考えました」
原因遺伝子を知ることの価値とは ~検査・診断で「支える医療」に貢献~
プロジェクトリーダーを務めた新納 隼人は、「近年、医師と患者さんが協働して、医学的な情報や最善のエビデンス、患者さんの生活背景や価値観など、双方の情報を共有しながら一緒に医療上の決定を下していく“シェアード・ディシジョン・メイキング(SDM)”という考え方が重視されています。IRDの原因遺伝子を包括的に調べる遺伝子パネル検査の開発は、まさにこのSDMに貢献する取り組みです」と話します。
「原因遺伝子を同定する検査によって、新たな遺伝子治療への適応など、患者さんの原因遺伝子に応じた治療計画を立てられることに加えて、視機能の予後や遺伝形式が分かることでロービジョンケア計画※3や人生設計を立てやすくなります。ある患者さんのケースでは、我々の検査により、光が視機能障害の進行にそこまで影響を与えない疾患であることが分かり、その結果、遮光眼鏡を付けて外に出る機会が増え、患者さんご自身による自己制御が緩和されたという話を聞きました。あらためて、この検査は、患者さんを“支える医療”、そしてQOL向上の一助を担うことができるものだと感じました」
検査を診断につなげる仕組みをデザインし、産学官連携で臨床実装の障壁を越える
臨床実装においてシスメックスが担った役割について、渡辺はこう話します。
「確立された治療法がない難病・希少疾患においては、患者さんやご家族のQOL向上といった検査の価値を、産学官で共有するところに最も苦労しました。また、これまでにない検査法のため、検査結果が安全かつ適切に使われるための『仕組み』から、学会や厚生労働省、その他機関とともに作り上げていくことが求められます。私たちの検査製品が測定対象とする遺伝子の臨床的有用性について、学会の先生方と議論を重ね、先進医療という形で、実際の医療現場でその有効性や安全性を評価していただくことで、地道にエビデンスを積み重ねてきました。エビデンス作りや、ガイドラインなど制度づくりを産学官で迅速に進めることができたのは、日本でのがんゲノム医療の社会実装に携わった経験があったからだと思います」
「さらに、新しい技術を医療機器として広く臨床で使っていただくには、当然ながら、誤った診断につながらないようにするための高い検査精度や安全性を保証する体制が必要です。ここが一番難しい部分で、業界ではこれを『死の谷を越える』と呼んでいます。ここを飛び越える力こそ、長年にわたり検査・診断ソリューションをグローバルに提供してきたシスメックスがもつ、強固な開発・品質保証・安定供給体制の強みが発揮された部分です」
患者さんのヘルスケアジャーニーに、検査・診断で寄り添い続ける
シスメックスの遺伝子パネル検査の登場を機に、IRDの治療・ケアが新たなフェーズへ——
「原因遺伝子の同定やその後の治療・社会的ケアの検討において、検査結果という科学的な根拠をもとに、眼科専門医、遺伝医学の先生や遺伝カウンセラー※4など、各分野の専門家が議論するプロセスが生まれ、さまざまな専門性を持った医療スタッフが連携・協働する“チーム医療”という概念を体現している、という声をいただいています」と新納は言います。
「多くの疾患領域で、予後の改善につながる新しい遺伝子治療や原因遺伝子に応じた薬物療法などの研究が進められています。それが治療法として確立されるためには、関連する原因遺伝子を調べる検査が必要となります。今回の経験を生かして、難病・希少疾患における治療・ケアの進化を、検査・診断という立場で切り拓いていきたいです」
渡辺はこう続けます。「特に難病・希少疾患においては、患者さんの数が希少であるからこそ、検査結果のデータを国全体で蓄積し、共有・活用していくことが重要だと考えます」
「がんゲノム医療や今回の難病・希少疾患領域での経験を生かして、アンメットメディカルニーズを満たす検査・診断を、一日も早く、そして負担の少ない形で医療現場へお届けする。患者さんやご家族の皆さんが前向きに病気と向き合っていける情報をご提供する。これが、50年以上にわたり検査・診断の新たな価値を切り拓いてきたシスメックスに求められていることだと考えています」
シスメックスは今後も、ゲノム医療のさらなる進化を支える価値の高い検査・診断技術の創出により、患者さんやご家族一人ひとりのヘルスケアジャーニーに寄り添い続けます。
コラム|遺伝性網膜ジストロフィ(IRD)とは?
IRDは、遺伝子異常が原因で、目の中で光を感じる網膜の機能に障害をきたす遺伝性、進行性の病気の総称です。代表的な疾患である網膜色素変性症は、緑内障に次いで日本における視覚障害の原因疾患の第2位となっています。症状やその進行は患者さんによってさまざまですが、若年期より暗いところでモノが見えにくくなる、視野が狭くなる、視力が低下するなどの症状が現れ、失明に至ることもあります。

IRD患者さんの主な症状
IRDの原因となる遺伝子は、これまでに300種類近く報告されています。遺伝性といっても、実際にはすべての患者さんで子どもへの遺伝が確認できるわけではなく、例えば網膜色素変性症の場合、明らかに遺伝が認められるのは全体の半数程度と言われています
2)。 また、遺伝子の種類や変異の場所によっても、症状や進行の度合いが大きく異なることが知られており、原因となる遺伝子が同じであっても、診断される病名が異なることもあります。IRDに関して、より詳しく知りたい方は、▶
遺伝性網膜ジストロフィ(IRD)のおはなしをご覧ください。
【注釈】
※1 |
多くの遺伝子を同時に調べ、疾患がもつ遺伝子変異を見つけ出す検査を「遺伝子パネル検査」という。一人ひとりのゲノム情報を遺伝子パネル検査によって網羅的に調べ、その検査結果をもとにして、より効率的・効果的に病気の診断と治療などを行うことを「ゲノム医療」という。
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※2 |
参考:遺伝性疾患とは(遺伝性網膜ジストロフィ(IRD)のおはなし) |
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※3 |
ロービジョンケア:視覚に障害があるため、生活上何らかの支障がある方に対するすべての支援の総称であり、医療的なケアから教育的、職業的、社会的、福祉的、心理的ケアまで、広い範囲にわたる支援を指す。
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※4 |
遺伝カウンセリング:日本医学会によると、疾患の遺伝学的関与について、その医学的影響、心理学的影響および家族への影響を人々が理解し、それに適応していくことを助けるプロセスであり、リスクや状況に対するインフォームド・チョイス(十分な情報を得たうえでの自律的選択)と適応を促進するためのカウンセリングなどが含まれるとされている。 |
【参考文献】
※ ストーリーに掲載されている情報は、ステークホルダーの皆さまに企業活動をお伝えするために実施しています。当社製品や研究開発の情報を含む場合がありますが、これらは製品に関するプロモーションや広告、医学的なアドバイス等を目的とするものではありません。症状などは一例であり、すべての方に当てはまるものではありません。また将来の医療行為の実現について保証されるものではありません。
- ストーリーに掲載されている情報は、発表日現在の情報です。
その後予告なしに変更されることがございますので、あらかじめご了承ください。