これまで医療における検査の役割は、「病気を見つける」ことだと考えられてきた。だが検査は飛躍的に進化し、その役割はいまや「最適な治療につなげる」ことや「治療の効果を最大化させる」ことにまで広がっているという。
なかでも特に大きな期待をかけられているのが、高齢化社会で誰もが関わりうる「認知症」領域の検査だ。認知症の検査の最先端とは。これから認知症治療の常識はどう変わるのか。
長く老年医療を専門とし、アメリカのマウントサイナイ大学病院で、認知症治療を含めた臨床現場に立つ医師であり、著書『認知症になる人 ならない人』を上梓した山田悠史氏と、血液検査をはじめとする検体検査領域を牽引するシスメックスで技術戦略本部長を務める岩永茂樹氏の対談で読み解く。
※NewsPicks Brand Designにて取材・掲載された記事を当社が許諾を得て公開
慶應義塾大学医学部を卒業後、東京医科歯科大学医学部附属病院で研修。その後、日本全国各地の病院の総合内科、総合診療科で勤務。2015年からは米国ニューヨークのマウントサイナイ大学ベスイスラエル病院の内科で勤務し、米国内科専門医を取得。現在マウントサイナイ大学病院老年医学/緩和医療科に所属。NPO法人FLAT理事。合同会社ishify共同代表。近著に認知症になりやすい人の傾向と対策をまとめた『認知症になる人 ならない人 全米トップ病院の医師が教える真実』(講談社)がある。
大阪大学大学院工学研究科博士課程修了後、2006年にシスメックス株式会社入社。中央研究所やスタンフォード大学での研究活動を経て、数十ナノメートルの分子を検出できる超解像蛍光顕微鏡やアルツハイマー病の血液検査など先端医療技術の研究開発を牽引。現在は、国内外の研究開発拠点を統括する技術戦略本部長を務める。2021年から大阪大学の招へい教授も務めている。
──これまでは「検査して病気を見つける」というのが治療の第一歩でした。今そこに変化が起きているそうですね。
岩永:もちろん検査の主たる目的が「病気の発見」であることは今も変わりません。ですが、たとえば人間ドックや健康診断などは自分の体の状態を正しく把握するために活用され、病気を発見するだけではなく、「病気の予防」や「健康増進」にも貢献できます。
また近年は、遺伝子検査の研究も進んでいて、体質や病気のかかりやすさ、薬の効きやすさなども調べられるようになっています。こうした検査があれば、その人ごとに最適な方法で病気を予防できたり、治療を選択できたりする可能性も高まる。検査そのものが進化し、その役割や位置付けが広がりつつあるのです。
体の中の数値を一時的なスポットとして見るのではなく、日々の健康管理から病気の予防、治療、予後のモニタリングまでの一連のジャーニー(旅路)として継続的に見ていく。私たちシスメックスは長年、検査の領域に携わっていますが、こうした考え方をすることで検査をよりポジティブに活用していけると考えています。
山田:検査を有効活用して病気を未然に防ぐことは、多くの人の幸せにつながりますし、医師としても非常にありがたいですね。
私は老年医療が専門で、その中でも認知症の治療を受け持つ機会が多いのですが、実はこれまで認知症の原因疾患のうち60〜70%を占めるアルツハイマー病を診断するための手軽な検査がなく、正しく診断するのが非常に難しい領域だったんです。
もちろん今までも、アルツハイマー病の診断を助ける検査は存在していました。ですが、腰の骨に針を刺して脳脊髄液を採取する脳脊髄液検査やPET検査など、身体的および金銭的な負担が大きいものしか選択肢がなかった。そうした理由で、アルツハイマー病の診断には患者さんの話を聞いて診断する「問診」や「診察」が中心となることが多く、その重要性は今も変わらないものの、客観的な検査を十分できないことで誤診を招くケースもありました。科学的根拠が確立されたより簡便な検査の有無は、医師が提供できる診断や治療の質に大きく影響するのです。
岩永:シスメックスが認知症領域の検査の開発に取り組んできたのは、まさにそうした臨床現場の課題を解決するためです。
アルツハイマー病の進行を抑制するには、脳内の「アミロイドβ」という原因物質の塊を除去する必要があります。その蓄積したアミロイドβを除去する「レカネマブ」や「ドナネマブ」などの新薬も、すでに登場しています。ですがその新薬を適切に用いるにあたり、脳内のアミロイドβの蓄積状態を調べる方法が課題となっていました。先ほど山田先生が言及されたように、既存の検査方法の課題をふまえ、患者さんの身体的な負担が少なく、身近な医療機関で受診可能な検査の実用化が期待されてきました。
シスメックスは長年の研究開発の末、脳内のアミロイドβの蓄積状態をわずかな血液から調べることのできる検査試薬の開発に成功しました。米国をはじめ、欧州、日本を含むアジア各国で着実に市場導入を進めています。
山田:ポイントは、何といっても「血液検査」という身近な方法でアミロイドβやアルツハイマー病の原因となるタンパク質の一種であるタウ(※1)を測れる点です。
というのも、簡便に身体の状態を把握する検査方法がなかったために起きていた誤診の状況は、多くの人が思っているより深刻なんです。
これまでアルツハイマー病と診断された方のうち少なくとも2~3割は、LATE(Limbic-predominant age-related TDP-43 encephalopathy)という全く違う病気であることが分かってきました(※2)。症状は似ていますが、アプローチは全く異なります。問診だけでは、LATEを見分けるのが難しく、アルツハイマー病と診断されていた場合は、見当違いな情報提供になっていた可能性があるのです。
その問題も、アルツハイマー病原因物質の脳内蓄積状態を簡便に測定できる血液検査が導入されると大きく改善するはず。ちょうどアメリカでもこの検査方法が認可されたばかりで、いよいよ日常の診察が変わってきそうだと期待しています。
※1 シスメックスで現在開発中の検査項目(2025年8月時点)
※2 出典:Nelson PT, Brayne C, Flanagan ME, 他「Frequency of LATE neuropathologic change across the spectrum of Alzheimer's disease neuropathology」
──血液中のアミロイドβを測るのはかなり難易度が高く、不可能だと言われた時期もあったと聞いています。どのような過程を経て実用化に至ったのでしょうか。
岩永:アルツハイマー病は脳で異常が起きる疾患ですから、脳脊髄液のような脳に近い体液を用いるのが王道です。ですが、脳脊髄液の採取は侵襲性が高いため、より負担の少ない血液による検査が期待されていました。
一方で、血液は全身を巡っているため、脳の異常だけではなく様々な臓器由来の成分が含まれ、脳由来の成分が希釈されています。
そのため、血液中からの微細な信号を正確に捉えること、ここが非常に難しい点でした。
さまざまな成分が含まれる血液から、脳の異常だけをどうやって捉えるのか。既存の王道検査と比較し、血液検査が脳内の異常を正しく捉えているかをいかに示せるか。そのために、多くの検証と時間を要する困難なプロセスが必要でした。
それでも諦めずに研究開発を続け、挑戦してきたからこそ、血液の解像度を極限まで高め、アルツハイマー病に関連しているタンパク質のアミロイドβを正確に捉えることに成功したのです。もちろん偉大な先行研究があってこその成果ですが、これは検査領域で長い歴史を持つシスメックスだからできた、画期的なポイントだと考えています。
シスメックスには、
多様なバックグラウンドを持つ研究者が同じチームで研究開発にあたるという文化があります。そこから生まれる独自の発想力・イノベーションが、今回の成果につながったと分析しています。
山田:なるほど。毎日さまざまな検査を活用していますが、検査機器の企業の方にお話を聞く機会はないので非常に興味深いです。
岩永:ありがとうございます。また、認知症治療薬の開発を進める製薬会社と共同研究を進めるなど、オープンイノベーションの形をとったことも功を奏しました。
「この治療を実現するためには、どんな検査結果が必要か」などの意見交換をしながら検査を開発できたことで、しっかりと現場のニーズを捉えたものを生み出せたと考えています。
──医療現場の常識を変える「検査」。今後検査の可能性はどのように広がっていくのでしょうか。
岩永:これまで検査のプロセスの自動化や高度化が進められてきましたが、検査の革新的な進化を表す一例が、がん遺伝子パネル検査の登場です。
これは、がん組織や血液からDNAを抽出し、数十から数百のがん関連遺伝子を同時に解析する検査で、従来のように一つずつ遺伝子を調べるのではなく、パネル(セット)としてまとめて調べるのが特徴です。患者さんごとに異なる遺伝子変化の組み合わせを明らかにすることで、一人ひとりの患者さんにあわせた個別化医療の実現を目指しています。
シスメックスの遺伝子パネル検査システムは、がんゲノム医療のコンビネーション医療機器として日本で初めて製造販売承認を取得し、保険適用も受けました。
山田:この事例は時代の変化を感じますね。というのも私が医学生だった時代には、がんは発生部位が重要で、部位を起点に治療法や薬が決まっていました。それがいまや、調べられる遺伝子が広がったおかげで、たとえば一口に「肺がん」と言っても、患者さんの遺伝子情報の違いによって治療法や薬を選択できるようになりました。検査の進化が治療にパラダイムシフトを起こした良い例だと思います。
岩永:さらに、AIの活用が医療現場に浸透すると、病気の早期発見や未病に貢献する取り組みが加速していくでしょう。こうした中で、検査はこれまで以上に重要な役割を担うと考えます。
当社は、50年以上にわたり検査に取り組んできた歴史があり、豊富な検査データ(ビッグデータ)やナレッジを有しています。それらをAIと融合させることで、たとえば感染症の流行を予測し、予防に繋げるというような新たなアプローチが可能になると考えます。
そしてもう一つ重要なのは、AIによって得られた知見や予測結果が、新たな検査技術の確立に還元される可能性があること。より迅速に、そして的確に社会のニーズに応えることが可能になると期待しています。
山田:心強いですね。新しい検査方法が生み出されることのもう一つの価値は、その周辺の研究開発が活発になることだと考えています。
たとえば、今回のトピックでもあった認知症向けの血液検査は、今はまだ認知症の予防段階では活用できません。
というのも治療薬の価格はまだ高く、「20年後に認知症になる可能性が高そう」とわかったとしても、費用対効果を含めて現実的に有用な治療方法をまだ提案できないためです。
ですがこのような検査が確立されることで、研究開発が進むことが予想されます。そうした研究の先に、アルツハイマー病を予防する検査の実現、さらにはワクチンのような形でアミロイドβの蓄積を防ぐ方法なども出てくるかもしれません。
岩永:おっしゃる通りですね。検査技術の確立が、新たな研究や治療法の開発を促進し、それがまた新しい検査技術の発展につながる。「検査」を起点にそんな好循環を生み出していくことが、私たちの役割だと考えています。
シスメックスはこれからも、予防、診断、治療、予後というヘルスケアジャーニーを支える検査・診断技術を生み出し、ヘルスケアの進化に貢献していきたいと思います。
執筆:横山瑠美
撮影:大橋友樹
デザイン:小谷玖実
編集:金井明日香
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2025-8-19 NewsPicks Brand Design
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